お問合せフリーダイヤル0120519559

世界各国での活動報告(世界支部)

  • 香港の国旗
  • 台湾の国旗
  • タイの国旗
  • マレーシアの国旗
  • フィリピンの国旗
  • ルーマニアの国旗
  • インドネシアの国旗
  • 中国の国旗
  1. トップ
  2. 体験者の声
  3. 胃がんを克服した体験者の体験談
  4. 上伊澤洋さん(北海道・75歳)

天仙液との出会いは心強く新しい伴侶との出会い

2014年10月、定期健診で胃がんが見つかった。11月中旬まで連日のように検査が続き、甲状腺にもがんがあることを告げられた時は、心底、意気消沈の態だった。甲状腺がんは進行が遅いということで、胃がんの治療後に手術を受けることになり、12月クリスマスイブの日に胃の4分の3を摘出する手術となった。

朝9時に手術室に入り、出たのは夕方の5時ごろで、家族や友人たちには随分と心配をかけてしまった。腹腔強手術で始まったが、15年ほど前の急性腹膜炎手術跡の癒着があり開腹手術の変更も考えたそうだが時間をかけてはがすことになり、さらに、がんがリンパにも転移していて、その摘出にも時間を要したのだという事だった。胃がんはステージⅡのBで、退院後、術後化学療法(TS1服用による抗がん剤治療)を受けることになった。

もともと高血圧、糖尿病、動脈硬化などの持病があり、その治療を受けていて、糖尿病は薬を飲まずに、食事療法で数値を下げようと糖質制限食を実行して3年ほどたっていた。73キロあった体重も63キロになり、糖尿の数値も正常値になり血圧も安定していたが、少々、無理な食事制限を続けていたので免疫力には自信がなかった。

がんを告知され、免疫力を付けなければ闘病生活は乗り切れないのではと考えた。人に薦められたり本を取り寄せたり、インターネットで検索したりして、科学的なエビデンスを宣伝にしている一つの漢方サプリメントを探し出し、それに賭けてみようと飲みはじめた。抗がん剤の副作用が軽減されるという事だったが、口内炎、下痢、色素沈着など、副作用が現れ、1クールが終了してから高熱が出て、食事がとれなくなり緊急入院して3週間、点滴を続ける長期の入院となってしまった。63キロだった体重は50キロに減少して、歩くのもままならない状態になるまで衰弱してしまった。

退院後、量を減らして抗がん剤治療が開始され、顔色も指先も黒ずんで、死人のような顔のようだと言われながら、何とか通常の生活を送るように務めた。色素沈着、白血球の減少などの副作用に体調が崩れ、正常な状況ではなかったが、耐えて抗がん剤治療は終了した。術後最初の胃カメラの検査で、再発転移は認められないと言われた時はさすがにほっと安堵した。胃は3ヶ月ごとの検査となり2回目も異常なしだった。

胃がんの治療が一応終わったことから2015年12月5日、甲状腺の全摘手術を受けた。手術後、リンパにも転移していて、取り残しがあるので、放射ヨード内照射治療を受けるように医師にすすめられた。北海道内で3カ所の大学病院にしかその治療を受ける設備がないので、紹介状を書いてもらい2016年3月末、入院治療が始まった。

甲状腺細胞にはヨウ素を取り込む性質があり、放射ヨウ素(福島原発事故の放射能と同じ放射能)のカプセルを飲み、甲状腺細胞に取り込ませて細胞の内部から破壊するといったもので、入院の3週間前からヨウ素制限食事を始め、2週間前からは甲状腺ホルモン剤も中断して取り残しの細胞を腹ペコ状態にしてから放射ヨウ素を呑んだ。尿などから放射線が排泄されて線量が容認範囲に戻るまで隔離室に隔離される治療でかなりのダメージをうけた。1回目では取り残しは消滅せず2回目は半年後の秋に受けることになった。

甲状腺の治療を受けて退院して間もなく、胃カメラの検査で胃に新しいポリープがあり、慎重に経過観察をしようと告げられ、再発の不安が頭から離れなくなった。そうしたストレスからか、不眠になった。他に頼る抗がん剤の情報は見つからず先のサプリの量を増やして飲み続けた。

11月、放射ヨウ素内照射治療を受けるために再び入院した。2度目は1回目の治療より体にこたえた。終了後の検査で、甲状腺組織が消滅し他の臓器にもがんは見当たらないと告げられた時はうれしかった。治療の副作用で、片側の唾液腺がダメージを受けていると言われ、治療の不作用でホルモン剤を飲みはじめてからでもカルシウムの数値が下がり不眠と貧血症状で、ベッドから起き出すのが億劫になっていった。

そんな時に、インターネットで抗がん漢方薬を検索していて偶然に天仙液の事を知り、さっそく案内書を送ってもらった。案内書に同封されていた本「がんを治す新漢方療法」を熟読した。天仙液の他の本も3冊取寄せて何度も読んだ。王振国先生、帯津良一先生の患者に寄り添う崇高な姿勢に感銘した、関根進さんの体験談は説得力があったのか悔しい思いが去来した。見放されたがん患者も救う道があったのだ、目からうろこの感じだった。

天仙液の事を早く知っていたなら、抗がん剤の副作用で苦しみ、放射ヨウ素を呑んで苦しみQOLを著しく損なわずにすんでいたのではと思った。副抗がん漢方薬の「天仙液」にたどり着くまで、僕の二つのがんとの闘いは再発、転移におびえ、副作用のないがんを克服する実績のある抗がん剤を探し求めて、暗闇を漂流しているような日々であったと思う。

胃も甲状腺も、再発転移の恐れはなくなっていない。でも、一応山場を越えた状態でもあり、天仙液は決まりよく5月1日から飲みはじめることにした。会社を経営していた42歳の時、カナダに渡りログハウスつくりを体験して47歳から米松を買い入れオホーツク海サロマ湖畔に1人で5年かけてログハウスを立ち上げた。そこで家族と離れて一人暮らしを始めてから20年間、児童文学や小説を執筆し商業出版し、ネイチャークラフト、ステンドグラス制作などの創作活動で生きてきたが、がんの手術以来、会社を譲った息子の家で厄介になっていた。信頼できる天仙液と出会い、これを契機に再びログハウスでの生活に戻ろうと決心した。

5月1日、ログハウスでの一人暮らしを始め、その夜に天仙液を初めて口にした。刺激的な味がしたが、不快ではなく美味しくも感じられた。5月5日まで説明書に従って1日10グラムを呑んだ。6日からは夜9時、朝9時に10グラム、1日20グラム飲んでいる。

飲む前から効果は信じていたがそれは期待以上だった。最初の夜から睡眠薬なしで眠れた。数日すると手足の痺れが薄れていった。気力が出てログ周りの修理仕事にも手を付けるようになっていった。5月、北国は山菜の時期で、例年春が訪れるのを待ちわびていたが、その山菜取りも開始した。昼飯は山菜蕎麦が定番になっていた。体力が日増しに増していくのが実感できた。

そして今日、あごの筋肉が痛くて物を噛むのがつらかったのだが、その違和感が消えているのに気付いた。起きてからの貧血症状も気にならなくなり食欲も出て、日々快便になった。なんと体重を量ってみると手術前の体重に戻ろうとしている。この状態だと創作活動も再開できそうで、関係してきた役職なども辞めずに続けることができそうだ。

天仙液に期待したことは、抗がん作用はもとより体質の改善だった。この薬なら間違いなく健康維持につながると思ったのだ。食生活にも気を付けて関根進さんが続けていたというSOD様食品を取り寄せて毎食後に飲んでいる。

今年僕は後期高齢者の75歳になった。72歳から今まで、がんの闘病で平常の生活を奪われていた。75歳からは車の免許更新も厳しくなるとか。義務付けられた四つ葉マークを車に取り付けた。老いは確実に近づいてくるが、死ぬときは寿命で死にたい。がんでは死にたくない。探し求めていた複合漢方薬、天仙液との出会いは、心強く優しい新しい伴侶との出会いのような気がしている。

※体験談はご本人の実体験に基づくお便りで、天仙液の効能・効果を示すものではありません。

深山逸男さんの画像

▲上伊澤洋さん75歳 北海道

深山逸男さんの画像

▲手術説明書

深山逸男さんの画像

▲説明用紙