VOICE 体験者の声

余命半年の宣言に残された手段が漢方薬だった!

医者が妻に、「余命半年でしょうね」といったそうです。

その言葉が本当でしたら、私はいまごろは土のなかにいるか、少なくとも生きる気力もなく、生死の境をさまよっていたと思います。でも、いまの私は、生死の境どころか、しっかりと生きています。自分の足で歩けるし、好きなものを食べることもできます。それも天仙液に出会ったおかげだと思っています。これがなかったら、どうなっていたことか…。

 

鄭 志強さん 香港・65歳
鄭 志強さん 香港・65歳

4ヵ月前のことです。 手や足がやたらにかゆいので、馬加烈病院で診てもらったのです。そうしたらいきなり、「奥さんにちょっとお話が」ということで、妻が呼ばれました。
医師は、私には何もいいませんでした。
「いえ、ちょっと病気の治療方法で相談したいことがあるものですから」というだけです。

しかし妻の様子がおかしいので、何か大変なことが起こっているのだとピンときました。 そこで妻に聞いたのです。
「俺の病気は何なんだ?」
妻は逡巡していましたが、
「肝臓がんといわれました」といったのです。治るのかどうかたずねると、
「医者は、半年もてばいいだろうといっています。腫瘍が大きすぎるので、手術はできないんだそうです。放射線治療と化学療法で延命をはかるしかない、と。手術しても成功率は20%。化学療法と放射線治療がうまくいけば、2年くらい持つかもしれないといわれました」

私は愕然としました。まさか、そこまで悪くなっているとは考えてもいなかったからです。二男一女を育てあげ、これから妻と一緒に老後を楽しもうと思っていただけに、余命を宣告されたことは、大変なショックでした。

そこで、成功率が低くても手術にかけるべきか、2年という余命を求めて抗がん剤や放射線治療に踏みきるべきか考えました。 迷ったあげく、抗がん剤と放射線治療のほうをとることにしたのですが、それがいい判断ではなかったことは、すぐに思い知らされました。ただただ苦しいだけでした。

そこで、成功率が低くても手術にかけるべきか、2年という余命を求めて抗がん剤や放射線治療に踏みきるべきか考えました。 迷ったあげく、抗がん剤と放射線治療のほうをとることにしたのですが、それがいい判断ではなかったことは、すぐに思い知らされました。ただただ苦しいだけでした。

ところが妻の友人が、「評判になっている漢方があるんだけど、試してみたら」といって天仙液のことを教えてくれたのです。
はっきりいって、迷いました。というのもお金の問題です。 そのときにはビルの管理人の仕事はやめて、妻と二人、娘の世話になっていました。これ以上、負担をかけたくないと思ったのです。

しかし子どもたちが、「お金ならどうにかなるから、試したほうがいい」といってくれたのです。負担してもらうのも、どうせ半年くらいのことだから、どうにか辛抱してもらおうと思い、天仙液をのみ始めたのですが、驚いたことに、体の調子がどんどんよくなっていくのがわかったのです。

めっきりおちた食欲と膨満感に悩まされていましたが、それが消えて、食欲がもどる感じがし、心配事やかゆみなどで熟睡することなどなかったのが、ぐっすり眠れるようになったのです。

そこで私は天仙液にかけることにし、抗がん剤をやめました。それまでは半信半疑で服用していたのですが、天仙液の効果を信じることにしたのです。すると体は正直です。食欲が出て、よく眠れるようになりました。

体調がよくなると、がんと闘う気力が生まれてきます。抗がん剤に頼っていたときは、こんなにみじめな思いをするなら、いっそ何もしないほうが楽だと思っていましたが、希望が出てきたのです。

いまの状態を何と表現したらいいのでしょう。 皮膚に若干かゆみは残っているものの、1ヵ月半前とは雲泥の差です。精神的にも安定していますし、体調もいいのです。

医者が妻にいったことが本当だとすると、私の余命は長くてもあと2ヵ月程度ということになりますが、いまは死ぬなんて気分はまったくありません。少なくとも天仙液を続けている限り、生きていられそうな気がしています。

※体験談は、ご本人の実体験による感想であり、天仙液の効能・効果を示すものではありません。
※体験談及び年齢等は、お便りを頂いた当時のものです。