VOICE 体験者の声

「余命3ヵ月」の末期がんから生還

検査から診断、治療と、どれだけの病院を渡り歩いたことでしょう。がんというものが、これほど人を翻弄するものだとは知りませんでした。と同時に、病院や医師にはさまざまな人がいることもわかりました。ともかくいい医師、いい療法と出合うことが、 運命の別れ目のような気がします。

朱 憲治さん 台湾 60歳
朱 憲治さん 台湾 60歳

私の場合、最初の診断から混乱していました。
変な咳が続き、心臓の調子がよくないので病院で検査してもらったところ、喘息と心臓機能の低下という診断でした。

しかし、いっこうによくなりません。その1年後に血痰を吐いたことから、 再び検査してもらったところ、原因がどうも判然としないのです。 そこで再度、前にかかったことがある耳鼻咽喉科の先生に診てもらったところ、「どうもおかしい」ということで別の病院の胸腔科の先生に紹介され、そこで甲状腺がんと告げられたのです。

娘に聞くと、そのとき、「3ヵ月の余命」という診断がくだっていたそうです。 娘は、
 「お父さんの命が3ヵ月しかないのなら、できるかぎりのことをやってあげよう」
と思ったといいます。

まず甲状腺をとる手術を受けることにしましたが、転移したらしい腫瘍が残っているので放射線治療が必要だというのです。ベッドに空きがないとかで、通院による治療を受けているうちに、私は声を失ってしまったのです。

その間、咳やたんがとまらず、食欲もなくなってきました。 こんなつらい治療を我慢したのも、がんを治すという目標があったからですが、それで声を失うということは考えもしませんでしたから、大変なショックでした。その病院が信じられなくなったのです。

そこで私のがんを見つけてくれた耳鼻咽喉科の先生に相談したところ、
「もう一回、検査しなおしたほうがいい」
ということになり、彼の恩師がいるという病院で検査を受けることになったのです。 そこで決まったことは、咽喉部摘出の手術をして金属のチューブを入れることでした。

ところが娘たちが集めた情報や、私が聞いた話では、その病院で手術をするといい結果が出ないというのです。 そこで手術を直前にひかえたある日、「娘が結婚することになりまして」と嘘をいって退院し、しばらく家にいたあと、仏教系の病院に移ったのです。

結果をいえば、その病院も失敗でした。9月初旬に入院し、
「気管切開をしてチューブを入れれば、声が出るようになるし、咳やたんもとまる」
といわれて手術をしたのですが、いっこうによくならず、声も出ず、また唯一の楽しみとでもいうべき病院の食事がまずくて仕方がなかったのです。しかし移る病院を思いつきませんでした。

がんの再発や転移を恐れてはいましたが、最も悲しかったのは声を失ったことでした。また、喉の孔に入れた管から、たんが不用意に飛び出すことでした。最初はそれを押さえるキャップがなかったため、ご飯を食べているときでも皿のうえに飛びだす始末です。家族とはありがたいもので、だれも文句をいいません。妻と二人の娘にはどれほど苦労をかけたことか…。

そんなときでした。天仙液の広告を娘が見つけてきて、それを使用するにあたっての問題点をアドバイスしてくれるコンサルタントの徐さんに会いにいってくれたのです。いまにして思うと、この徐さんこそ私の命の恩人であり、声を回復することができた恩人といっていいでしょう。徐さんはまた天仙液のとり方を指導してくれると同時に、台北医学付属院の高先生を紹介してくれたのです。

徐さんの言葉に嘘はありませんでした。天仙液を1ヵ月も続けているうちに咳もとまり、たんが徐々に減り始め、食欲が回復してきたのです。しかし残念ながら、声だけはもどりませんでした。

ともかく台北医学付属院に移ることにしましたが、そこは西洋医学の病院ですから、私としては大きな期待は抱かないことにしたのです。しかし高先生は、それまでの医師たちとは違い、じつに親切でした。

仏教系の病院では天仙液は隠れてしか使えませんでしたが、高先生は、
「これから放射線治療を行なうので、他の治療は遠慮するように」
とはいったものの、見て見ぬふりでした。暗黙のうちに天仙液の使用を了解してくれたのです。

放射線の治療は20回行ないましたが、3回目で声が出始め、15回目で話せるようになったのです。放射線治療で声を失ったのですから、放射線治療が声をもどしたとは、とても考えられません。天仙液のおかげと断定していいと思います。
その病院は退院し、いまに至っていますが、まだ完全にがん細胞が消えたわけではありません。 しかし転移も拡大もしておらず、がんは縮小を続けていることが確認されています。

あともう一息といったところです。体重も手術後の60kgから70 kgに回復しています。
私は最近まで、自分が末期がんで、余命が3ヵ月と宣告されていたことを知りませんでした。
「余命が宣告されていながら、知らないでいるお父さんが不憫だった」
と娘はいいますが、隠し続けた妻や娘は苦しかったと思います。

すべてを話す気になったのは、天仙液を用いて、回復のメドが見えたからだといいます。家族に心配をかけ、お金も使わせてしまいました。これからは元気になって、娘たちの幸せを見まもってやりたいと思います。

※体験談は、ご本人の実体験による感想であり、天仙液の効能・効果を示すものではありません。
※体験談及び年齢等は、お便りを頂いた当時のものです。